2,平成13年5月7日 コンピュータウィルスとの戦い
3,平成13年6月28日 デオデオ株主総会
4,平成13年6月29日 スクール水着の魅力
5,平成13年7月7日 少女馬鹿一代(2)
6,平成13年9月16日 小野家親族会議行われる
7,平成13年9月30日 備後落合・出雲坂根取材
8,平成13年10月8日 みんなで作業・この名言
9,平成14年5月上旬 芸備書房災難三昧
10,平成15年2月2日 おでんうどん!
11,平成16年2月4日 初めての市会
12,平成16年3月14日 かしわめし・筑豊本線・千鳥饅頭
13,平成16年12月27日 掲示板の話題で振り返る平成16年
14,平成17年2月26日他 結婚式など
(特設) 平成17年9月25日 芸備線で一日遊び倒すオフ
10日程前、一太郎で文書を開くと「環境にないフォントがあります、一時的に変換して表示します」なる注意メッセージが出た。芸備書房本所のパソコンで作った文書に、その同じパソコンで読めぬフォントなどあるはずがない。これはおかしい。とも思ったが、とりあえず実害がなさそうなので放っておく。
その数日後、文書の英文部分が訳の分からない記号に化けている。よく見てみるともともと英文だったところが何の因果か「マップシンボル」という地図記号を表すフォントに変換されたたていた。「よりによってそんなフォントにせんでも・・・」と思いながら、状態を改善するため、置換する欧文フォントをセンチュリーにしようと試みる。が、フォントのプルダウンメニューの中にセンチュリーがない。タイムズニューロマーンもない。これはおかしい。絶対におかしい。
ここら辺からコンピュータウイルスを疑いはじめたが、まずは設定の異常ではないかとシステムを再起動したり、スキャンディスクをかけてみる。残念ながら改善見られず。逆にとんでもないことに気が付いた。再起動をかけるたびに使用できるフォントが減っている!ウインドウズフォルダ内の、フォントファイルそのものはきちんと存在するのにそれがどんどんアプリケーションに反映されなくなって行く。これはフォントを喰うウイルスかもしれん!
そうこうしているうちにGWに突入し、そして5月7日。50以上あったフォントは、欧文はほぼ全滅、和文が10ほど残るのみになった。この日にいたり、自力での解決を断念し、近くのパソコンガレージショップ「レッドサン」(芸備書房本所のパソコンはここで組んだ)に行き、主人に相談する。すると「それはきっとウイルスの仕業で、とりあえずワクチンソフトを入れて、それで駄目ならウイルス根絶のためにはハードディスクの初期化をすべき」と脅される。
とほほな気持ちで帰宅し、再起動が怖くて電源をつけっぱなしにしていた)にしていたPCを見ると、なんとさらに使用可能フォントが減り、わずか5つになっていた!ここまで来るとウインドウズ画面の表示にも支障を来し、各ウインドウの最小化ボタンやスクロールボタンの表示がおかしくなっていた。なんとこのウイルスは起動の際以外にもフォントを喰うのだ!もはや一刻の猶予もない。クレセントを飛ばしてデオデオ高陽店に急行し、おなじみトレンドマイクロ社のウイルスバスター2001を購入。
帰ってみると残ったフォントはMSゴシックとMSPゴシックの二つのみ。最後の望みをかけてウイルスバスターをインストール&実行。・・・がウイルス検知せずとの結果。もしや最新情報を得ていないためかと思い、トレンドマイクロ社HPから最新ウイルス情報をダウンロードし、再度ウイルスチェック実行。しかし、やはりウイルスは見つかりませんでした・・・という結果のみがむなしく返ってきたのだった。もはや万事休す・・・?
まあまてよ。明らかに機能が不全に陥っているのに、ウイルスが出ないというのはおかしい。というわけでトレンドマイクロ社サポートセンターに電話を入れた。症状をかくかくしかじかと説明して、ウイルスバスターに何の反応もないのだというと、担当の女性がこんなとんでもないことを言った。「それはウイルスではなく、内部ファイルの破損と思われます」。はあぁぁ?こんなじりじりと侵攻するたちの悪い病気みたいな症状を、内部ファイルの破損が引き起こすというのだろうか。しかも彼女はこうとも言った。「safeモードで一度起動すれば修復します」。そんな簡単に直るもんか!・・・が、これが直ってしまった。
今回の症状はトゥルータイプフォントキャッシュ(TTFキャッシュ)ファイルの破損が原因で生じたものであった。結局私はウイルスではない者をウイルスだと途中から誤認し、えんえん独り相撲を取っていたことになる。あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ無駄な労力と資金を費やしてしまったぁぁぁぁぁ。コンピュータに対する知識の欠乏はとんでもないところで痛手をもたらしてのでありましたとさ。やれやれ。
まずは祝辞。同期の某君がE社で、1期下の某君がH社でそれぞれ内定を取ったととの祝報をいただきました、重ねてHP上でもお祝いいたします、おめでとう!
さて、28日は株式会社デオデオの第55会定時株主総会が催されました。会場は旭橋西詰の「デオデオ商道研修所」です。
午前9時40分頃に会場前に着きますと、玄関前にはスーツ姿のデオデオ社員がうじゃうじゃいるは、TVクルーはきとるはで正直小生引き気味になりました。えー年したおっさん数十人に一斉に頭を下げられると言うのは若い頃にはなかなかない経験です。
受付に株主総会招待状(議決権行使書)を提出し、「ご出席票」とおみやげをもらっていざ会場の会議室へ。会場は案外狭く2教室分ぐらいの広さしかありません(HGでいう合併室、教育学部の旧C104教室ぐらいか)。そこに大方100程の座席が設けられ、9割ほど人が座っていました。顔ぶれを見てみると50代以上のスーツ姿の男性がほとんどで、小生ほどの年柄の者や私服姿、女性はほとんどみられませんでした。
午前9時58分、社長久保氏以下現役員が会場正面の壇に上がり、午前10時、予定通り総会が開会いたしました。同社の定款により、総会の議長は社長久保氏自らが務め、まずは議事の確認と決議の方法が承認されました。
続いて社長挨拶と営業報告がありました。社長挨拶は、内容はともかく、久保氏のプレゼンテーションは案外下手です。しばしば詰まったり、どもったりします。東証1部上場企業の社長とも言うと、何やらとんでもない人物のような気がしていましたが、意外とそうでもないようです。営業報告はビデオで行われました。内容は株主総会召集通知記載の事項とほぼ同じであり、制作費用、時間などに無駄を感じます。
10時20分より総会は質問審議に移ります。ところが、日本人の悲しい性か、最初の一つがなかなか出ない。議長が「何もございませんか」などと発言を促す始末。ようやく30代に見える若い株主から店員の教育不足について質問が出ました。そうすると堰を切ったように合計14,5の質問が出されました。質問の内容は大きく分けて「従業員教育の不備に対する苦情」「デオデオカードが有料であることに対する異論」「第56期の事業展開について」「D&E設立について」の4分野であり、それぞれ社長、若しくは担当重役より回答がありました。さして厳しい質問は出ず、概ねシャンシャン総会ということができると思います。ちなみに小生も新年度、56期の設備投資、重点地域、新規事業の予定の有無について社長の考えを質し、設備投資金額60億円、新規出店5店舗、リニューアル15店舗などの回答を得ました。
質問審議は約30分間で終了し、10時50分頃より議案の決議へと移りました。議長が議案を読み上げると、会場より「賛成!」「異議なし!」の声と共に盛大な拍手が起こり、議案は次々と成立し、10時58分、すべての審議事項を消化し、総会は散会となりました。
参加を終えての感想なのですが、意外と大したことないね。緊張しすぎて損をしたようにも思えます。ちなみにおみやげの中身はソニー製のVHSビデオテープ5本でした。安くあげおってからに・・・
まずは先日の日記の補足。デオデオの株主総会がいい加減シャンシャン総会じゃのぉ〜と書きましたが、世にはデオデオを上回る(下回る)シャンシャン総会もあるのでした。小生の株式投資上の先輩、下道会目黒支部長氏が株式を保有する東京製鐵(株)の株主総会の模様を「目黒支部広報」でレポートしておりますのでご参照下さい。(リンク:下道会目黒支部)
また、同期の某君から、T・K大の大学院への内部推薦が決まったとの連絡をいただきました。これまた大変嬉しいニュースです。おめでとう!
では本題。小生の28日未明の書き込み以来、掲示板ではスクール水着論議がにぎやかです。ここで怪しい少女学の立場から少しスクール水着を論じてみたいと思います。本当は少女論から説き起こすべきなのですが、身辺多忙に付き割愛させていただきます。とりあえず少女とは子供とも大人とも異なる一種特殊な魅力を持つ状態だとお考え下さい。(小生の少女・少年論は大塚英志あたりの「少女・少年とは使用可能な肉体を留保され、ひどく禁欲的なモラルを強いられる、近代教育理想のごった煮状態」を基本線としています)
まず、スクール水着の持つ「萌え機能」の一つは、それ自体が強く「少女」を象徴することです。この点については「セーラー服」「ブルマー」「スクール水着」という「3種の神器」に共通であります。また、あらゆる「制服の持つフェティシズム」と機能的に変わりありません(但し、少女集団が他の制服集団と比較して飛び抜けて巨大かつ普遍的なことや、一般メディア・エロメディアによる強化が行われることによってこの機能は世界一の強さを誇ります)。従ってスクール水着やセーラー服をまとう少女は、他の何を着るより「少女らしい」のです。スクール水着がより性的魅力を引き立てるということもあり得ますが、まずは「少女らしさ」の強化がスクール水着第一の機能でしょうね。
ですからスクール水着の少女とセクシー水着の少女がいたとして、男性がよりエレクトするのはセクシー水着の少女かもしれませんが、より萌えるのはスクール水着の少女、ということも起こりうるのです。少女の魅力というのは、決して性的な魅力にのみ還元されるものではありませんので。
次にいわゆる「三種の神器」の中でのスクール水着の地位について考究いたしましょう。スクール水着が他の2つに対して持つ特性を考えますと以下のような物が挙げられます。
まず一つ目ですが、ブルマーは絶滅寸前、セーラー服もシェアをじりじり下げつつある現状、現実世界において「三種の神器」が必ずしも少女集団と結びつかなくなっている中で、スクール水着のみその機能を高い水準で維持しています。従って「萌え」機能も減衰していないものと考えられます
次に2つ目、少女の魅力という物は、「隠されることの魅力」「得べきものが保留されることいよる魅力」というところに依るところがいくらかあります。この点、スクール水着はその他の2点、すなわちブル・セラと比較して、より「隠されて」います。それはまずスクール水着が「季節限定」であることです、他の2点は年中目にできますが、スクール水着はたいてい夏限定です。次の「場所・状況限定」というのは、スクール水着という物が一般に目に触れにくい物と言うことです。スクール水着を目撃するためには一般には学校のプールまで出向かなければならないのです。さらには出向くだけではダメで、見るための状況が必要です。この点、どこでも或いは学校のグラウンドの横を通り過ぎれば見られるブル・セラよりスクール水着はより「隠されている」のです。これが少女の「隠される魅力」に一花を添え、「萌え」機能を強化するのではないでしょうか。
最後に3つ目、スクール水着が「水着」であることによる機能があります。この点については掲示板でも盛んに議論されているとおりです。三種の神器の中で、もっとも露出度が高く、体型が露わになりますので、どうしてもセクシャルな部分での萌え機能が強くなります。また2点目とも重複するのですが、スクール水着は三種の神器の中で「もっとも見えそうで見えない」的な存在でもあります。
というわけでスクール水着の魅力を少し説明してみました。だいぶ消化不良な感がありますが、今はこれでいっぱいいっぱいと言うことで。詳しくは2002年冬芸備書房より刊行予定の「少女科学講座第1巻、少女学原論」をお待ち下さい(←いや〜、この本も出す出す言いながら出んよねぇ)。また、私は決して三種の神器の中でスクール水着が最強とは考えておりません。他の2点には2点の魅力があるのです。
下着メーカーのワコールが調べたところによりますと、日本の少女の体型は20年前と比較してバスト、ウエスト、ヒップ共に大きくなっているそうです。特にウエストの増加幅が大きく、年齢にもよりますが1センチ以上大きくなっているのだとか。原因は運動不足と脂分の多い食生活。
・・・それって日本の少女がアメリカのおばはん化してるっつーことですか?
というわけで、つつましく愛らしい日本少女を復活させるために!
全国のお母さん方、娘の食生活を改善してください!!
さて、同じ調査によると15歳の少女の平均的なブラジャーのカップはCカップなんだそうです。
なあ同輩諸君、俺たちが小学生の頃って、Cカップって絶対巨乳というカテゴリーに入ってたよな?
それが今や15歳の小娘の平均がCカップ・・・時代は流れ、男どもは町中で目の保養しまくり、中学・高校の教員なんかもウハウハいいまくり・・・そして
全国の微乳マニアの犯罪者度上がりまくり(泣)
えぐえぐ・・・それでもみにちち好きなんだもん
王舞の父方、小野家の親族会議が16日、倉橋町本浦小野家で行われた。今回の会合は倉橋の家を改装した記念に、一族で集まって食事と墓参りをしようというもの。
食事が終わった後、現在の頭領である叔父(父の兄)から一族の系譜について講義があった。我が小野家は記録が確実ところで安土桃山まで、信憑性が高いところで室町までの記録があり、眉唾物だが清和天皇につながる血筋らしい。
我が先祖小野冠者刑部三郎朝信はかつて「平賀」と名乗っていたが、信州小野に住んだため「小野」と名乗ったらしい。信州小野は現在中央本線の小野駅がおかれている地域であり、以前より一度訪れねばと思っていた土地だ。
代が下り小野二郎兵衛尉泰範の時、安芸国守護に任じられた武田氏の麾下、安芸大田荘(現安佐北区可部)に移住し、大田と名乗る。永正14年(1517)山県郡有田合戦(vs毛利)で武功を挙げる。しかし合戦は武田・熊谷両家の大将が討死にして自軍の負け。大永4年(1524)に大内が大軍を率いて武田の佐東銀山城(広島市安佐南区)を攻めた時は、熊谷麾下に働き敵の首5級をあげる(勝敗不明)。天文2年(1533)三入高松城の戦では敵先鋒木村兵庫を討ち取り、主家武田氏より御召武具を賜る。
天文9年(1540)秋、尼子晴久の毛利攻めに際し、武田と共に尼子方に加わり敗北。尼子・武田は出雲に落ちるも小野泰範は佐東銀山に残り、天文10年(1541)5月13日佐東銀山の麓で討死。一族は尼子に従い出雲へ。その尼子も1566年に滅び、一族は播磨へ移る。
確実な記録が残る最初の人は小野源左エ門尉康信である。以下この人を便宜上「初代」とする。源左エ門の代に豊臣秀吉に抱えられ、播州御着村(現姫路市)に840石の領地を賜る。朝鮮戦役などでたびたび武功を挙げ、織田紋(五つ木瓜)使用を許される。爾来我が家紋は織田紋(五つ木瓜)であり、王舞も紋入りの和服をこしらえれば、五つ木瓜が縫い込まれることとなる。小野康信は元和元年(1615)最後まで豊臣家に忠義を尽くして大阪夏の陣で討死。
2代目小野太郎左エ衛門尉範清は豊臣滅亡のため禄を失い、在野の軍学者として身を立て全国を放浪。教育系一族の初めか。後に備後の国由木村(現神石郡油木町)に落ち着く。暫くして畠鋪村(現三次市畑敷町)に移住。
3代目小野源右エ門範信は父の跡を継ぎ、在野の軍学者となる。三次市原村(現三次市十日市町)に移住し、郷士となる。原村、能良村に2町四方の田畑と里山二つ、茶畑1ヶ所を持つ。
4代目小野久兵衛勝範は引き続き原村に住み、浅野の三次支藩より原村の里正(今で言う村長みたいなもの)を命じられる。小野久兵衛の代に三次で水害・火災が発生し、先祖伝来の品が7点を除いて全て失われる。
5代目小野比右エ門勝信の代、享保10年(1725)浅野家三次支藩に召し抱えられる。最初の役職は恵蘇郡御鉄方(広島県北のたたら製鉄を監督する役職)であり、享保19年(1734)には郡方を命じられる。三次支藩廃止に伴い元文5年(1740)広島へ転勤を命じられる。当初は広島城下一本木(不明)に貸家を与えられる。延享4年(1747)歩行組に取り立てられ禄も加増される。寛延元年(1748)貸家を返納して、矢賀村蟹野(現南区蟹屋町・広島駅前荒神市場)に屋敷を建てて住む。
6代目小野多三郎勝秀は父の職を継ぎ、明和8年(1771)歩行目附に昇進。天明3年(1783)城の広式(礼儀作法担当)を命じられる。天明5年(1785)表方歩行目附を命じられる。
7代目小野内蔵太惟信は父の職を継ぎ、文化4年(1807)広式歩行目付を命じられる。文化7年(1810)竹之丸左右歩行小姓を命じられる。文政8年(1825)歩行目附郡方掛を命じられる。
8代目小野大祐雅信の代に明治維新、廃藩置県、秩禄処分行われる。最終役職は藩士禄によると御歩行組、材木奉行、勘定所歩行筆頭格となっている。
王舞へとつながる9代目小野孫四郎は8代大祐の三男である。元武士の次男三男にありがちなことに警官となって安芸郡倉橋に赴任。そこで人妻アサに懸想して、これを奪って子を為す。子は1男2女をもうけた。後に孫四郎は広(現呉市広)に転勤した。広で祭があり、その中で草競馬が行われていた。突然1頭の馬が群衆の中で暴れ出し、これを取り押さえようとした孫四郎は馬にけられて大けがを負い、これが元となって若くして死んだ。アサの元旦那の呪いの可能性大である。
孫四郎の長男が10代目小野清香である。王舞の祖父。教育畑に生き、倉橋で小学校長を務めた。米がなくとも盆栽には金をかける風流人だったと聞く。妻の栞(王舞の祖母)は晩年倉橋の山中で行方不明となり、現在まで見つかっていない。
11代目の頭領は王舞の叔父である。一方分家の矢口小野家の方が王舞の父、王舞自身は初代小野源左エ門尉康信から数えて12代目である。しかし、時代を遡ると、安佐南区で祖先が討ち死にしていたり、備後十日市は元本拠地だったり、荒神市場が元屋敷だったりするとは実に驚きであった。いろいろなところに縁のある土地というものはあるものだ。
さて、講義の後は墓参り。本家の菩提寺である倉橋町西蓮寺に参る。家の伝統を聞いた後だけに、一族皆墓参りにも気合いが入っている。日頃より時間をかけているようだ。寺ではイチョウが実を落とし独特の臭気を放っている。どうして真宗の寺にはこうイチョウが植えてあるのか?謎である。臭いのに。王舞なりの結論はこう。
浄土寺(じょうどでら) 落ち銀杏に 秋を知る
腐臭と思はば 無常をも知る
さて、寺からの帰り際に小学校を通ると、休みの日だというのに小学校に子どもが集まってブランコの周りで遊んでいた。プレイスポットに乏しい田舎ならではの光景である。しかしその子どもたちもよく見てみるとスカートの丈はしっかりと短い。やはり現代っ子なのである。
休日の 学びの庭に 遊び居り
スカート短き 今の島の子 蛸叙庵 王舞
9月末日の今日、木次線の出雲坂根駅・出雲横田駅が無人化されるとのことなので、備後落合駅の駅ノート管理を兼ねて取材に行くことにした。無人化の事情などについては「芸備線ニュース」を参照されたし。
午前10時頃にクレセントに乗って安芸矢口を出発。空模様はあいにくの曇り時々雨である。まずは県道37号線を北上して向原へ、向原駅近辺の駐車場を確認する。すぐさま山を越えて吉田へ。途中山道のカーブでスリップしたと思しき軽乗用が中破しているのを目撃・・・つーかこの車をよけるために減速した先行車を見落として危うく追突しそうになりABSのお世話になってしまった。
吉田での用は「三ツ矢書店吉田店」。「三ツ矢書店」は古本屋の先輩で、既に三次店、吉田店の2店を構えておられる。この9月20日に吉田店が移転オープンしたとのことで、開店お祝いと見学をしに行ったのである。訪ねてみると店主が在店で、しばしお話しさせていただくことが出来た。店はコミック中心の古本60%、ゲーム、CD、ニューメディア、グッズ40%の複合店で、近くの子どもたち数人が来店していた。芸備書房も人々に親しまれるものにしなければ、との思いを強くする。帰り際、買って帰ろうとしたハード本4冊を「芸備書房の開店祝いに」と言うことでいただいてしまった。とても有り難い。感謝感謝である。
向原に戻って、駅前の駐車場にクレセントを置き、改札へ。今日は車と鉄道を併用する「ハイブリッド鉄」である。車での一人旅ほどむなしく、しんどいものはない。一人旅は汽車に限る、旅情にあふれ、周りの風景を存分に楽しめるし、コストも安いしくたびれない。向原駅で驚いたことに改札にはかつて安芸矢口駅に勤めていた職員さんが!安芸矢口の直営駅化に伴って転勤され、長らくお会いしていなかったのでとても懐かしく思う。
向原12:42発の急行「ちどり」に乗る。ラッキーなことに広島に一編成しかいない新幹線0系発生品流用のアコモ改造車が充当されていた。乗車率は2割ほどで、大変寂しい車内である。乗客が少ないのはとても残念だが、せっかくなので座席を倒し、足を伸ばしてくつろぐ。う〜ん、小さな贅沢。車窓から外に目線を移せば、雨に煙る秋の沿線。黄金色に輝く秋の田も、少しぼんやりとした色合いになり、彼岸花もその鮮やかさを雨粒に覆われて目立たなくなっている。なんとも日本は景色の変化が豊かな国であることよ。時折目の前を通過駅のホームがすーっと微妙な速度で通り過ぎて行く。急行列車の旅の醍醐味である。そういえば在来線で優等列車に乗ったのも久しぶりだ。昨冬に山陰線で少しだけ「北近畿」に乗って以来か。
三次でほとんどの乗客が降りてしまい、乗車率は5%ほどになってしまった。ちなみに購入した切符は向原→出雲横田の乗車券1890円と向原→備後庄原の急行券530円、合計2420円である。備後庄原で広島方面からの乗客は私以外全員降り、かわりに先行の普通列車から乗り継いだ(?)高校生が10人ぐらい乗ってくる。高校生も途中の備後西城などでぽつぽつ降り、備後落合まで乗ったのは私ひとりであった。
備後落合では驚愕する出来事が二つ私を待っていた。一つは備後落合駅の駅ノート「雑記帳」である。「雑記帳」はこの夏に9号より前のバックナンバーがなくなってしまい盗難が疑われていたが、なんとそのバックナンバーが一部戻ってきていたのである。いやー、たまげたやら嬉しいやら。
もう一つはいつも寂しい備後落合駅になんと20人を超える人がいたこと。待合室いっぱいにご老人がいらっしゃる。事情を聞いてみると、この団体さんは出雲市の農協関係で、どうも下り「おろち号」で備後落合までやって来たは良いが、帰りの上り「おろち号」の切符手配を忘れていて、「おろち号」満員のため備後落合駅に積み残しとなって2時間あまりぶりょうを囲っていたとのこと。幹事のミスであり、なんとも可哀想な話である。この団体さん、私がスーツ姿だったためか、私に何やかにや聞いてくる。「次の列車はいつですか」から始まり、「出雲市へはどのように帰ればよいですか」「何時間ぐらいかかりますか」などなど。たまたま時刻表があったので私も次々に質問をさばく。にわかガイドの誕生である。
この団体さんは酒が入っていたこともあって大分混乱していたが、その混乱が極まったのは14:17に木次方面からの547D(この列車が折り返し出雲横田行き552Dになる)が到着したときである。「この列車はどっちに進むんじゃ」「乗っちゃいけん、広島に行くで」「宍道へは行くんか」「ここでこの列車は引き返すんか」などなど好きなことを言っているので、にわかガイドも手を振り上げて「出雲市に帰られる方はこの列車に乗って下さい〜」など言って誘導する。なんとか全員乗車完了、ツアコンの苦労が分かる。
出雲横田行き木次線552D(キハ120単行)は、出発時なんと30人もの乗客が乗っていた!1両のキハ120、しかもオールロングシートの1番台、ロングシートにずらーっと人が30人並んだ状態で油木、三井野原と進む列車。こんなことはもはや二度とないかもしれぬ・・・。三井野原〜出雲坂根間のおろちループへ好眺望が開けるところでは、運転士も乗客は観光客と見てほとんど止まりそうなほど減速して進む。乗客も一斉に進行方向左の窓にくっつき、感嘆の声を上げる。スイッチバックを楽しみ、延命水に喜ぶ団体さん。しかし、八川を過ぎたあたりからはしゃぎ疲れたのか退屈なのか、あちらこちらで寝モードに入る人が出てくる。剛毅な人はロングシートの上で横になる。神経の細い人はまだ横田にも着かないのに「宍道はまだかねえ」など言う。キハ120に観光客が乗ることを想定しろとはよう言わないが、オールロングシートでは風景に目をやることも仲間と談笑することも難しい。ローカル線へのオールロング車導入はやはりいただけない。
そうこうするうちに出雲横田へ到着。列車は横田で30分止まって列車番号を558Dに変えて宍道へと向かうので団体さんとはここでお別れである。私は汽車を降りて、駅から出るために構内通路を通って線路を渡る・・・渡ろうとしたがいつもの通路がない!辺りを見回すと従来の構内通路が使えなくされており、その代わりにホームの八川側の端にスロープ付きの通路が設置されていた。とても遠回りで不便ある。「バリアフリー化」と言うことなのだろうが、ちょっと困る、きっとお年寄りはもっと困る。従来からの通路も存続させることは出来なかったのか?
駅前の商店で備後落合駅雑記帳vol5,10のバックアップ(コピー)を取って、出雲横田駅に戻る。駅は無人化と10月1日からの業務委託に関連して引継が行われ慌ただしい。ここらへんは「芸備線ニュース」にも書いたので割愛。
備後落合行き551Dで出雲坂根へ向かう。列車を降り、まずは551Dを送り出す駅長を2枚撮る。駅長に有人最終日につき撮影させてくれと断り、待合室で機材の確認などを行う。待合室の中を見渡してみると、いつもならにぎやかに置いてあるおみやげ品が既に撤去されており、ガラスケースが寂しくなっていた。「そこにあるはずのものが姿を消す」ことはひどく寂しさをつのらせる。
他に変わった点はないかと駅の内外を見て回っているうちに、出雲坂根駅の川上駅長が事務室の中に入れてくれた。初めて入る駅内部は、どこもかしこもどこか懐かしい空気に満ちあふれていた。確かにコンピュターもあるし、ファックスなど近代的設備も備えられているのだが、やはりこの駅は「汽車の駅」であった。以前芸備線狩留家駅の中に入れてもらったときに感じたような雰囲気と似ている。歴史、鉄路とそのダイヤを支えてきたがっしりとした力強さ、そしていくらかの優しさ。こういったものが駅の備品一つ一つからにじみ出てくるようだ。
また、こうした雰囲気はそこで働く人間が醸し出しているのかもしれない。丁寧で温厚な川上駅長とはいろいろな話をすることが出来た。梨、焼き芋、珈琲などいただきながら、木次線の想い出話、出雲坂根の今後、私と木次線の因縁、今のJRの経営方針・・・。駅長は出雲坂根が無人化された後で荒れてしまうのではないかととても心配しておられた。現在でも訪れる人々が捨てて行くゴミが相当な量にのぼっており、訪れる人に気持ちよく過ごしてもらうためにはこまめな清掃が欠かせない。非水洗のトイレは1日3回の掃除をしている。これが無人化した後で、むちゃくちゃになってしまうのではないか・・・というのが川上駅長の懸念である。出雲坂根は来春より地域の集会所として使う話があるものの、それまでの管理については万事未定であり、地域によるサポートも未定だという。
話の中で私は出雲坂根の駅ノートのことを持ち出した。無人化される出雲坂根から昔の駅ノートのバックナンバーを引き取って、今後とも閲覧を可能にすることと、新しい駅ノートの設置を提案しなければならない。駅ノートの活動と役割、効果、安芸矢口企画での管理方法など一通り説明をし、これを快諾していただいた。早速持ち合わせのノートを「新・旅人の独り言」として設置した。またこの際に川上駅長より「利用者みんなが「私の駅」という意識を持って駅を大事にしてくれるよう書いて下さい」と要望をいただいたので、前文はこのことをふまえたものになっている。
このような作業をしている間にも、多くの人が駅長を訪れる。駅前で露店をやっている女性たちが撤収の際に「駅長さん、長い間ご苦労様でした」と言って帰る。地元の有力者風の男性が現れて、駅長と話し込み、労をねぎらって帰る。駅長は「ありがとうございました、またどこかでお会いしましょう」と男性を見送る。下り最終備後落合行き553Dの運転士が入ってきて煙草を吸う。駅長は「そうやって中に入って煙草を吸えるのも今日で最後で」と笑う。「そうか、だんだん寂しくなるねえ」と運転士、表情も冴えない。
そうこうしている内に、上り最終宍道行き562Dが入ってきて、構内にキハ120が2両並ぶ。これがいよいよ出雲坂根駅の駅員が見送る最後の列車である。駅長はホームへ出て、553Dの運転士は車両に乗り込み、私は553Dに荷物を乗せる。間もなく562Dが先に出発して行く。川上駅長は553Dの運転台横に立って何やらしている。運転士と話でもしているのだろう。私は良い構図の瞬間を待って列車後方でデジカメを構える。そうするとキハ120のエンジンが低くうなり、なんと553Dがゆっくりと進み出すではないか!駅長が運転士と話をしているというのは私の思いこみだったようだ。慌てて走り、列車を止める。相当恥ずかしい、うぅぅぅ、なんたる不覚!最後の最後でなんたることか!
再び汽車に乗り込むと、553Dが出雲坂根を発車する。川上駅長がホームからこの最終列車を見守っている。さまざまな意味で「見納め」の情景であった。私は窓を開けて駅長に叫ぶ。「お世話になりました、そしてありがとうございましたっ!」。キハ120はポイントを右に曲がって、三段スイッチバックをのぼり、出雲坂根駅は見えなくなっていった。
一人での作業には限界があるので、今日はvalisさん、きたさん、じろうさんの3人に手伝っていただいた。4人で作業したので大分はかどり、新書と少女漫画に関する作業が終了。手伝っていただいた皆さんには本当に感謝しています。
さて、その作業の最中、この名言が生まれた。
某氏「おう、この本(アダルト漫画)いいね、もらって帰ろうかの」
某人「それは僕が売ったやつだ」
某氏「う〜ん、それはちょっと考えるな。あのさ、中古のエロ本って、
なんか付いとる気がせん?」
某君「おいおい、そんなんいったら古本屋でアダルト売れんって」
某人「ヴァーチャル穴兄弟だな」
いや〜、もうこの発言で一同大爆笑して、それからしばらく「ヴァーチャル穴兄弟」が流行したのであった。「次はどれを使って某人とヴァーチャル穴兄弟になろうかな〜」とかね。うん、でもそれ言ったら、同じ女優のAVを使った奴はみんなヴァーチャル穴兄弟だよな。あははは。
4月23日 芸備書房に警察が!
23日深夜、芸備書房の前に赤色灯を回しっぱなしのパトカーが止まり、店主が警察官に事情を聞かれていた。というのも芸備書房はこの日、警察に被害届を出したのだ。
被害の内容は以下の通り。当店入口のガラス扉に店名「芸備書房」と営業時間がシール(特注)で貼ってあったのだが、これが23日の午後に何者かに剥がされたのである。剥がされたシールは入口近くに散乱していた。この時間帯、私は店の奥で作業をしていたのだが、この犯行に全く気付かなかった。被害額としては1万円強といったところで大したことではないが、放置してはエスカレートするので被害届を提出した。まったくもって度し難い愚行であり、看過できるものではない。犯人はおそらく地元の厨房!逝ってよし!
4月24日 芸備書房から煙が!
この日の芸備書房は、煙が立ち上った。
店を開けようとして、電灯のスイッチを入れる。指先に大きなしびれを感じ、慌てて手を引くと壁のスイッチから煙が!しかもこの煙はプラスチックを焦がしたよう何とも嫌な臭いがするもので、危険を感じ速やかに換気。
とりあえず電気屋を呼ぶと、スイッチ部分が朽ちて、中が焦げていた。部品を取り替えて店が通常の営業に戻るまで3時間を要した。踏んだり蹴ったりである。
5月2日 芸備書房に警察が!PART2!最悪!
昼過ぎからベストワンに赴き、いろいろと商材を回してもらう。毎度毎度ありがたい限り。話が長くなり、3時前になったので同社を辞し、矢口に戻る。自宅に車を置いて、急いで店を空けに行くと・・・
店の入口ドアの、ノブ上部のガラスが割られていた!
しかもドアの鍵が開いていた!
一瞬、糞厨房共!今度はガラス割りやがったか!とも思ったが、
よくよく考えるとこれは事務所あらしの典型的な手口!!
動転しながら店に駆け込んで中を眺めてみると
はたして新型パソコンとレジが消えている!
とりあえず速攻で警察を呼び、被害状況を確認。そうこうしていると、最近常連化しているOさん(セリコロールさんに非ず)が来たので、「洒落にならんですよ〜」などとだべる。だいぶ時間が経って警察が来た。前回とは異なり、今回は交番の警官二人の他、鑑識の警官二人が加わって4人である。簡単に状況を説明した後、鑑識さんと指紋やら足跡の検出作業。うちの店は結構店内に砂が上がっている(汗)ので、足跡の検出が期待されたが、よくよく考えるとわたしがさんざん踏み荒らしてしまったのでちょっと期待薄らしい。それでも私のものではない足跡が検出され、写し取られていた。指紋は破られたガラス、ドアノブなどから取っていたようだ。耳掻きの綿毛の親玉みたいな奴と専用の粉を使って指紋を採取する作業は初めて見たのでちょっと感動。取られたPCやレジ周辺からも指紋が採れたらよかったらしいのだが、私が警察が来る前にものを動かしていたので駄目らしい。
芸備書房主人=状況保存ができていない駄目被害者(涙)
一通りの調査が終わり、被害届も書き終え、警官隊が帰ったのが5時頃。
・今回の被害
新型パソコン 約10万円
中古レジスター 約1万円
レジ内現金 約3万円
破損ガラス代 約1万円
パソコン内作成データ人件費 約1万円(経理データが全部パー!)
レジ内の原付の鍵 約100円(←困った!人から預かっている物なのに!!!)
PC内のCD 約100円(超ムカツク!せっかく気に入ったCDだったのに!!!)
合計 約160200円
本当に腹立つな!!!盗んだバカは氏ね!いや、死ね!速やかに死ね!
とりあえずメインPCは残っていたし、本は一切なくなっていなかったので明日からの営業は平常通り行います。ただ、速やかに広島綜合警備保障を呼んだのでした。あ〜あ。
夕方頃から「泥棒祭」突入、各所に電話かけまくり。幸運量保存の法則だな〜。1月1日の追突事故で今年1年分の不幸を使い切ったと思ったのだが、まだまだ私の不幸は残っていたらしい。がっくし。
5月3日 まだあった、被害
実はデジカメも取られていたことが発覚。デジカメがないことには仕事にならないので、カメラのキタムラでオリンパスのデジカメを購入。3万円ちょっとかかる。あ〜、腹立つ。
いや〜ついに食べてきました、おでんうどん!!
びっくりしましたよ、13時頃に西城町特産物加工場(ドライブインおちあい横)に着いたら、開いていないんだもん。電話では12時から営業と聞いていたのに!!やむなく隣のドライブインおちあいで見事な樹氷もどきを見物しながら「おでん+うどん」を食べる。無念の思いをかみしめつつ駅に戻ろうとすると、なんとさっきまで閉まっていた西城町特産物加工場が開いているではないか!!!
早速建物の中に向かって声かけ。「こんにちは〜、おでんうどんやってます〜?」。すると中から女性が出てきて、「あ〜、まだ出来ませんよ」とのこと。しかし、ここのおでんうどんが目当てでやって来た我々、こんなところで引き下がれない。「何時なら出来るか」と聞くと「1時間ぐらいしたら」とのこと。ならばということで木次線の撮影をしながら待つことに。初めての雪中撮影(積雪45cm!、ヴァージンスノーを踏み分けての撮影!)で体を程良く疲労&冷えさせて特産物加工場を再訪!すると・・・
おでんが煮えているではありませんか!!早速おでんうどんを注文。素うどん300円+おでん50円〜とのこと。おでんは大根を入れて欲しかったがまだ味が染みていないとのことでなので厚揚げとごぼ天にする。そして出てきたのが一番上の画像のおでんうどん(\450)かまぼこ+揚げ玉+海苔+厚揚げ+ごぼ天である!!
早速食するにこれがうまい!!!うどんにおでんがこんなに合うとは知らなかった!!!寒い中、体が冷え切った後とは言え予想以上の美味。おでんのダシとうどんのダシはわりと似たものだが、それにしてもうまい。なんとも相性がいい。かつての旅人たちは、汽車から降りたって備後落合のホームでおでんうどんをすすっていたのか、と思うとなんとも感慨深い。是非皆さんも食べてみることをおすすめする。
西城町特産物加工場は1月から3月にかけてのスキー場営業(してるっぽい)期間の日曜・祝日と気が向いた土曜日に営業中。営業時間はスキー客が帰り始める午後から夕方にかけて不定!なんとも難しい条件だが、一食の価値はあると思いますよ〜。
今日は初めての市会!!古書組合に入っていない芸備書房としては初体験だ。
まず市会というのは、古本屋が集まってオークション方式で本を売買する集まりのこと。各古本屋、不要在庫をさばいたり、自分の店の荷筋にあった本を仕入れたり、他の古書店と情報交換をしたりとメリットが大きい。普通は地域の古書組合が主催し、組合員でないと参加できない。逆に古書組合に入っていると、日本中どこの市でも参加できる(らしい)。
芸備書房は組合に入っていないので、これまで市会に出たことはなかった。しかし昨年末に山口県のA古書店さんを訪ねたときに、山口県古書組合の市会は組合員以外でも参加できるということをうかがった。年明けに案内をいただき、このたび初参加という運びになった。
せっかくの機会なので、芸備書房同様組合に入っていない古本屋2軒B氏、C氏を誘って行く。午前6時に芸備書房に集合して出発。本来小生のライトエースで行くべきなのだが、雪が降っているので雪対策OKのB氏の車で行くことに。雪降る山陽道を走って、時間ぎりぎりに会場の小郡南集会所に到着。
到着するとA古書店さんともう一方が準備に走り回っておられる。まずあいさつをして、準備を少し手伝う。次に市会初心者の我々のために、D古書店さんが手続や用語の解説をしてくださった。二枚札・三枚札・四枚札・止め札・改め札・引き料・・・。
ここからが本番。まずは自分の出品物をテーブルの上に並べて行き、束で売るものには輪ゴムをかける。そして出品単位ごとに商品説明・出品者名を所定の用紙に書き、この用紙をくっつけた封筒を商品に添えておく。これで出品作業は完了。
次に本部から筆記用具と数十枚の紙片をもらう。この紙で入札をするのだ。参加人数10、出品数50ぐらいの小規模な市会ではあるが、雑誌屋の小生などは日頃あまりお目にかからない、黒っぽい本や、全集ものなどがずらりと並んでいる。自分の中の「古書店」の部分がワクワクしてくる。
まずは自分の出品物に「止め札」を入れに行く。止め札とは、自分の出品物に入れておく「最低落札価格」のようなものだ。この札未満の金額では原則落札されない。また止め札は入れなくとも良いとのこと。
そしていよいよ他の出品物に入札しに行く。出品物の6割ほどは人文系の黒っぽい古書や全集など。全体が50山ほどなのに、3つ鉄道系の山がある。どうやら芸備書房が行くからということで、参加各古書店さんにA古書店さんが話を回していてくれたらしい。ありがたく入札させていただく。
入札は紙片に自分の名前と入札金額を書いて、その商品ついている封筒に入れるだけ。面白いのは、この時入札金額を一枚の札に二種類、場合によっては三種類以上書くことが出来るのだ。入札金額が1000円以上の時は「二枚札」と言って金額を二つ併記できる。
芸備書房 |
2800 |
2400 |
というように書いておく。1万円以上の「三枚札」は三種類、10万円以上の「四枚札」は四種類・・・となる。競りなので基本的には高い方の金額を使うのだが、他の人の入札や止め札が低い方の金額未満ばかりの時は、低い方の金額で落札できる。「日頃の買取だったらこれぐらい」「これぐらいで落札できたら美味しい」「絶対欲しいが、本来はこれぐらいで入札だな」などといろいろなことを考えながら金額を決めて入札していく。キャリアの長い方々を相手にそう簡単に落札できまいよ、と「安く手に入ればラッキー」と言うものも含めて20枚ぐらい入札してまわる。
10時半に入札終了、開札となった。んでびっくり、かなり落札していた。というか、落札しすぎた。金額的には妥当なのだが、数・量が多い。ライトエースで着ていれば全く問題ない量なのだが、今日はBさんのラシーン。積んでみると本当にぎりぎりだった。当然店もまた狭くなった(笑)どうも他の方よりも仕入金額の感覚が高め設定らしい、次回はもうちょっと安めに入札することにしよう。
本日の主な戦果は以下の通り。
・鉄道系書籍の山×2枚
・大版鉄道写真のセット
・秘蔵浮世絵大観
・国語大辞典(20巻組)
・創刊まもなくのアンアン他雑誌山
・「月光」「牧歌メロン」計5冊
・アニメ系ムック
・漫画雑本山
・民話の本
・日本児童文学大系の端本
・ムーミン(ハードカバー)
戦果も良かったが、市会で各古書店さんとお話しさせていただいたのが良かった。大変古書の勉強になったし、古本業界や経営に関しても得るところが多かった。また、ある古書店さんが、小生が小学生時代に通っていた塾でお世話になった先生であることも発覚。思いがけないご縁にびっくりだ。
本当に収穫が多く、また楽しい時間を過ごすことが出来た。毎月とは言わないが、年に4回ぐらいは出たいな〜。ちょっと無理をしてでも広島の古書組合に入るのも意味あることと思えてきた。このあたりは今後の検討課題。
帰りに下松S.Aでふくふく饅頭や生外郎を土産に購入。生外郎にありつくのは久々。日持ちしないから山口県内でないと手に入りにくいのだ。
所用あって長崎県の佐世保へ。朝の臨時快速「関門ふくふく号」に乗る。青春18きっぷシーズンと言うこともあって、3両編成に約100人の乗客とまずまずの乗車率。指定席の1両目に乗ったが、古いとは言ってもキハ181・特急車で快適な旅ができた。ただ、酒の入った郵便局員の団体さんが大声で騒ぐのにはちと閉口する。
幡生工場の横を通過中、悲しいものを見た。ジョイフルトレイン「フェスタ」が解体中だったのだ。3両編成がばらばらにされており、一部の部品がはがされていたり、ガラス窓が無かったり、最も解体の進んでいる車両は屋根が一部はがされていた。特徴のあるスタイルで、子供たちに人気を博し、芸備線でも長らく「ネコヤマスノーエキスプレス」で活躍した同車だったが、タイ国鉄への譲渡話も結局破談となり、最後はよくわからん解体ツアーなるものにひっかきまわされ、晩年は不遇だった。
下関で乗り換えて小倉へ。小倉で駅弁「かしわめし」を購入。小倉で快速に乗り換えて折尾へ。折尾では高名な東筑軒の「かしわめし」を購入、食べ比べをしてみようと思う。この後筑豊本線の乗り継ぎの関係で、折尾で1時間ほど時間がある。早速駅前を探検すると、古本屋を発見。この「マツヤ書店」さんに入って、しばらく老店主とお話をさせていただく。いろいろな苦労話をいただき、大変勉強になる。また、駅前の新刊書店で広島ではなかなか見つけられなかった「まんがタイムきらら」購入。
しばらく迷って折尾駅7番線に到着。筑豊本線快速に乗り換えである。快速博多行きなのだから、4両ぐらいはあると思ったら、なんと2両編成がやってきて、ちょっとびっくり。2両ではあるが、817系というのは良い車両だ。木製の座席、柔らかいクッション&ヘッドレスト、良好な加減速、広々とした眺望。JR西日本も見習え!!!!
筑豊本線の広々とした線路敷や宮田線の廃線跡を眺めながらかしわめしを食べ比べ。小生は小倉のかしわめしの方が美味しいように思う。飯もしっかり甘く炊いてあるところが好きだ。同行のA嬢は折尾の方が美味いという。いずれにしてもかしわめしは「安くて美味い駅弁」という評価をして間違いないだろう。
←小倉のかしわめし
←折尾のかしわめし
←乗車した博多行き817系快速@桂川
←817系車内。大きな側面窓とふかふかヘッドレストが素敵。
快速列車は桂川から篠栗線に入ってしまうので、通称原田線に乗り換え。
筑豊本線桂川駅前に「千鳥饅頭」なる銘菓を発見。白あん系の饅頭で、上面中央に千鳥型の焼き印が入っている。早速食べたがなかなかの美味であった。こんなところにも「ちどり」の仲間が・・・とついつい芸備線野郎は思うのである。
原田線はこの3月の改正まで黄色いキハ125が運用に入っていたので楽しみにしていたのだが、なんと今改正から運用が変わってキハ140(キハ40のエンジン強化型)になったとのこと。せっかく九州ならではの珍しい気動車に乗れると思ったのに、いやキハ140だって九州独自っちゃあ独自なんだけど。原田線には冷水峠という難所があり、キハ140はこれをゆっくりと登っていく。よく鉄道紀行もので「あえぎあえぎ」という表現をするが、そこまでの苦労はしていない様子。鈍重キハ40の車体でも、エンジン換装と少ない乗客と言うこともあって難なく走っているようだ。途中駅ノート設置駅があるのだが、残念ながら確認はできず。また、途中駅でなぜか路面電車の車輌が展示してあるのには驚いた。また、原田付近では結構住宅が建っている地区を通るのに、駅が無くもったいないようにも思われる。
原田で乗り換えて鳥栖へ。鳥栖で長崎本線の817系に乗り換えて佐賀まで。佐賀で一旦下車してはなわの「佐賀県」に出てくる」吉田家を探してみたが残念ながら発見できず。後続の佐世保行きで佐世保へ向かう。
持って行き損ねたお歳暮のバームクーヘンを開ける。リトルマーメイドのバームクーヘンなのだが、これまた美味い。こんな美味いものばかり食ってていいのだろうか。ぶっといバームクーヘンを1/4にして、手でもってかぶりつくこの背徳感!!ぞわぞわ〜。
芸備書房サイトを更新するついでに掲示板のログを保存。途中1ヶ月分失われているが、先月19日のカキコで有効発言数500レス達成。これを記念してちょっと各人の発言回数を調べてみた。1発集計で見直しや確認はしていないので若干の誤差はご勘弁ということでよろしく。
HN(敬称略)/1-100/101-200/201-300/301-400/401-500///1-500合計
valis 25 20 22 28 26 121
までぃ 28 21 23 18 19 109
山本町駅 8 11 12 19 21 71
王舞大野 12 11 12 11 14 60
ポケ鉄 7 8 7 8 1 31
ヨッシー 10 3 7 3 23(広島のヨッシー)
n-tanoura 3 3 2 5 4 17
旅人 1 7 2 2 3 15
下道会総裁 4 1 6 11
急行江の川 1 10 11
セリコ 3 1 2 6 (セリコロール)
うに。 2 3 5
よしか 1 3 4
さきおぐら 2 2
E233系 1 1 2
朝倉 2 2
圭一 2 2
下道会めぐろ支部長 1 1
むにゅ。 1 1
キハ20422 1 1
鬼編集長 1 1
広電9号線 1 1
級長 1 1
レッドサンダー 1 1
しゃもじ 1 1
総有効発言者25名、上位2名で占有率46%、4名で72.5%、6名で83%、9名で91.6%。
ちなみに文字数の占有率を出せば、さらに寡占が進むのは必至(笑)
掲示板の話題で振り返る平成16年
1月:データ喪失(陳謝!) 日本ブレイク工業社歌など
2月:マリみてアニメ、プリキュア、急行江の川、リバイバルちどり、牛丼食べ納め、
芸備線のキハ120
3月:麻原彰晃に死刑判決、低年齢アイドルユニット、かしわめし、福岡の鉄道、Suica・
Icoca、コンテンツ産業
4月:芸備書房新店舗着工、イラク人質事件、せんせいのお時間、横山光輝死去、
広福ライナー、ユニクロのスク水、岡山のバスカード、木偏にホワイト
5月:芸備書房社歌?、岡山のバス事情、日本のアニメ業界、夏の臨時列車、Under17
6月:フェリー「銀河」運休、萌えソング、参院選、三菱自動車、オリックス近鉄合併
7月:プロ野球再編、横山アナ、参院選、市町村合併、KOTOKO
8月:法律用語、アテネ五輪、球界再編、ミニオフ、駅弁、ご当地チェック、バスまつり
9月:流行語大賞予想、車掌・途中下車印、球界再編、華氏911、(゚∀゚)ラヴィ!!
ポプリまつり、四国独立リーグ
10月:三越倉敷店、百貨店、岡山県知事選、ドラクエ、ダイエー再建、ライブドアvs楽天
沖縄でまたも台風直撃、文字コミュニケーション、アニソンのカバー曲
11月:楽天金イーグルス誕生、進路・学歴、樽募金、新札・マニ30、夕凪の街 桜の国
茶会解散、管理人結婚発表、秋葉原・メイド喫茶TV露出、
12月:ドラえもん声優交代、あさかぜ・さくら・いそかぜ廃止、ソフトバンクホークス
といったようなことが話題になりました。今年も萌と鉄の絶妙な(?)バランスでした。それにプロ野球関係の話題が熱いのも今年の特徴であったように思います。
リバイバルちどり、運行へのハードルが高く流れてしまったのが残念。JRのハードルの高さという点では、先日結婚式の引き出物でオリジナルのオレンジカードを作ろうと画策していたのですが、オレンジカードは最低1万枚(!!!)のオーダーが必要とのことで断念しました。図書カードやクオカードは100枚から制作できるのに・・・。全くけしからん話だと思います。
平成17年2月24日
あと42時間ぐらいで結婚式が始まってしまうのですが、式中に使う音楽や、照明との打ち合わせができていません。こんな修羅場のような結婚式になってしまうとは・・・不覚。
今必死こいて当日の台本を書いているところです。もうどうなるやら。
1000 小生、新婦実家へ。最終確認など。
1230 具志川市役所で婚姻届提出
1400 出雲会館入り、最終打ち合わせ
1600 新婦着付け開始、小生はちょっと暇なのでトークの練習と暗記
1700 新郎側親族観光バスで到着、小生と会場スタッフで出迎え・控え室誘導
1730 小生も着替えに
1800 開宴・人前結婚式挙行
1830 親族集合写真撮影
1845 食事会に移行
2000 終宴
2030 新郎新婦・新郎側親族は貸切バスで沖縄市・ホテルニューセンチュリーに移動
さきほど、小生のトーク部分全ての概要を用紙にまとめ終わり、一息つきました。なんかあと17時間弱で自分の結婚式だなんて、全く実感が湧きません。無事に乗り切れることを祈るばかりです。自分自身が楽しむ余裕があるといいのですが、成り行きで式の多くの部分が小生の挨拶・トーク・采配にかかっているのでそうも行きません。せめて新婦・参列者に楽しんでもらうことを期待したいと思います。んなもんですから、小生としてはみなさまからお祝いの言葉を頂くのがなによりの喜びです。「おめでとう」と書いていただいた皆様に感謝いたします。
朝京都観光ホテルを出発して、新婦(A嬢)を迎えに行く。A嬢、なぜかご機嫌超斜めである。
具志川市役所に婚姻届を出しに行く。広島の婚姻届とちょっと違ったので、1回間違って書き直して提出。法的に、晴れて夫婦になったおめでたい瞬間なのだが、A嬢が不機嫌そうにぐったりしているので、あんまりおめでたい雰囲気でない。どうやら体調が悪いらしいので、一旦実家に戻って休んでもらう。
予定外に暇になったので、フィットで高速を飛ばして那覇空港に親族の出迎えに行く。広島から来る親戚は既に到着しており、長崎からの親戚の到着待ちをしていたのでそこに合流して挨拶をして回る。貸切バスのガイドさんと打ち合わせなどをしている内に、長崎からの親戚も到着し、バスの方へ移動。全員が着席したところで、謝辞を述べて下車し、バスをお見送り。今度は具志川へとんぼ返り。
改めてA嬢を迎えに行き、会場入り。A嬢の具合があんまり悪いので、会館から風邪薬をもらう。スタッフと最後の打ち合わせ、音楽はここでやっと決定(遅い!!)。会場の机・司会者の立ち位置などを動かす。会場を眺めてみると、別に頼んでいない装飾が結構付いている。テーブルの装花や、会場正面に「祝小野和彦君*****嬢結婚おめでとう!!」という大ボードがかけてあったり・・・。これらは会場側の好意で用意してくれたとのこと。なにせ300人収容の会場であるから、半分に仕切って使ってもだだっ広いわけで、それを殺風景にならないよう、スタッフが大分あれやこれや考えてくれたみたいで本当にありがたい。
打ち合わせが終わった後、会場が毛布を貸してくれたのでA嬢は押さえてあった和室(親族控え室)で仮眠をとってもらう。その間に小生は引き出物・料理・会場セットの確認をする。
引き出物に頼んで置いたハート型チーズケーキが、ものすご〜く大きかった。直径20cmはあろうか?
元々、大手進物会社の引き出物カタログに載っていた「ハート型チーズケーキ」を考えていたのだが、沖縄への納期が間に合わず断念。すると会館から、地元の洋菓子店に依頼して、似たようなものをオーダーできるよう話をつけた」との連絡があり、一もなく二もなく飛びついたのだ。
進物会社のものは長辺で12-13cmぐらい、固めで日持ちの良いベイクトタイプだったので、そんなタイプ・そのぐらいの大きさで作ってくるだろうと思っていたのだが、よもやの20cm級、しかも足の速いスフレタイプとは!!広島からの親戚は持ち帰りに苦労するに違いないし、食べるのにも苦労しそうだ。何せ夫婦で来ていると、20cm級チーズケーキが2台お土産になるのだから。(結果的には、この大きなチーズケーキは「みんなでたっぷり食べられた」と好評だった)
料理では、追加オーダーした「さーたーあんだぎー」の出し方を変えることになった。琉球慶事の古式に則って、皿に山盛りにして出食するつもりだったが、時間の都合で料理を出し切れない(2時間の間に結婚式もするため披露宴の時間が比較的短い、さらに通常より1品多いため)ということなので、当初より持ち帰り用の袋に入れて配っておくことになった。@60円追加ということで、一人1個かと思っていたが、一人2個で用意してくれていたのは嬉しい。
諸々の確認が終わったところで、近所のサンエー(イズミと同じ感じのスーパーだと思いねぇ)に買い出し。ぐったりしているA嬢のリクエストと彼女が食べられそうなものをセレクトして購入。お茶・野菜ジュース・おにぎり・チョコレート・菓子パンなど。会館の和室に戻って、もそもそと食す。いやー結婚式の日の昼食が、菓子パン・おにぎり・野菜ジュースになるとはまったく予想もしていなかった。世の人々もこんなもんなのか?それともうちが特殊なのか(笑)
仮眠と糖分をとったA嬢は、いくらか良くなった様子。夕方になって、着付けのために美容室に移動していった。一人になった小生は、挨拶の原稿のチェックと下読みをして過ごす。間もなく、広島の親戚が乗った貸切バスが会場に到着したので出迎え。会場のスタッフに混ざって控えへの誘導、コインロッカーやトイレの案内などして回る(正直、他家の人に会館スタッフだと誤認された自信あり)。
控えに親戚連が落ち着いたのを見計らって、小生も美容室に。男の着替えはすぐ終わる。男については髪のセットなどは無しなので、ちょっと残念。
一足先に着替えを終えたA嬢のところに行き、ウェディングドレス姿を眺めて至福に浸る。と、美容室に流れているFMから「2ちゃんねる的に言えば・・・逝って良し!!」というくだりが3回続けて流れてきて、失笑する。結婚式30分前に「逝って良し」でウケてんのかよ〜おめでてーな、と変に自虐的(?)気分に落ちる。
スタート10分前になっても、スタッフから参加者着席完了の連絡がない。なんと新婦の両親がまだ着かないとのこと。電話連絡も付かない。大いに焦る。A嬢がまた機嫌を損ねる・・・。開始時刻から5分経って、ようやく新婦の両親が到着したとの伝令が来る。スタッフに付き添われて会館内を移動し、いよいよ会場のドアの前に二人で並んだ。
宿で寝過ごし(念のために言っておくが26日晩は何も無かったんだぞ!!)、朝食を食べ損ねる。朝食券を無駄にして(´・ω・`)ショボーン
。
気を取り直して出雲会館へ。精算をして、預けておいた引き出物の残りのチーズケーキ、広島菜漬と、昨日の装花を引き取る。サンエーで焼き芋などを買って、車の中で二人でもそつく。こんな結婚翌日ってのも珍しいのでは?
嫁様が午後からお祖母さんのお見舞いと、昨日来れなかった親戚を訪ねると言うことで、別行動になった。小生は本土からの出席者への追加土産を調達しに、本島東岸を南下しつつ買い出し。サンエーやらかねひでやらお買い物。しかし、どうもどこのお店も込み合っているし、道路も込み合っている。糸満の福山通運に買い出し荷物を降ろしたら、飛行機の離陸まであと1時間ぐらいしかないではないか!!
大慌てで那覇空港へ向かう。幸いスムーズに到着し、レンタカー返却場所に到着。ところがレンタカーの返却手続が遅い!!離陸13分前に送迎バスに乗り込み、10分前に空港ロビーへ。ちなみにこの時の小生は、自分の荷物の他にお土産の大袋と引き出物のチーズケーキを3台(!!)抱えている。ちょっとよたよたしながらANAのカウンターにたどり着き、搭乗手続を頼むと、カウンターの女性スタッフの表情が一気にこわばる(そりゃそうだ!!)。女性スタッフが大急ぎでどこかへ電話をかけ、そして急いで搭乗口に行ってくれという。女性スタッフが荷物をいくらか引き受けてくれ、二人で保安検査場へダッシュ!!保安検査が終了して離陸まであと3分!そこで男性スタッフ2名が合流して、これまた荷物を持ってくれ計4人で出発ロビー最果ての33番ゲートへ猛ダッシュ!!周囲にお客さんが「なんだあれ」という目で見ている視線が痛い!!ゲートにたどり着き、3人のスタッフにお礼を言って荷物を受け取りようやく機内へ。ぜーはー言いながら到着すると、他のお客さんはみんなとっくに座ってこっちをアレな目で見ている。時間を見てみると離陸1分前!!一見間に合っているようでも、飛行機の場合はとんだ大迷惑!!これだけでも迷惑な客なのだが、小生の大量の手荷物がなかなか棚に入らずこれまた時間を食ってしまう。ところが驚いたことに小生の後から女性がさらに一人乗り込んできた。途中で追い越したらしい(笑)
結局嫁様や親戚連とは離れた席で、広島までフライト。広島空港で親戚連中に挨拶をして、安芸矢口へ。とんだ新婚翌日になった。