第1号
平成13年6月21日発行
安芸矢口企画

「おでんうどん」リバイバル?

 備後落合駅の名物として、多くの鉄道旅行者が挙げるものに「おでんうどん」がある。「おでんうどん」とは文字通りうどんの中におでんが入っているという、なんとも珍しい食品で、かつては駅ホームの売店で販売され、旅行者に親しまれた。冷え込みの厳しい山間の小駅で、暖かいおでんうどんが喉から臓腑へと滑りこむとき、喫食者は体のみならず心まで温もったであろうことは想像に難くない。

 さて、そんな「おでんうどん」も備後落合駅の衰退と共に、いつの間にか姿を消してしまった。駅自体も数年前より無人化されてしまい、「おでんうどん」も旅行者の記憶の中にのみ残るものとなっていた。ところが先日、可部線で大々的に駅ノート活動を展開されている「さきおぐら」さんから、備後落合駅近くのドライブインで「おでんうどん」を出食中であるとの情報をいただいたのである。これは芸備線の観光上に一大美花を添える可能性を持つ情報なので、安芸矢口企画は速やかに取材を敢行することにした。


「特産物加工場」全景                   「おでんうどん」看板

 今回いただいた情報によると、「おでんうどん」を出食するのは、駅西側の国道183号線と314号線の分岐点にあるドライブインとのこと。早速行ってみると、そこには「ドライブインおちあい」というレトロなドライブインと「西城町特産物加工場」なる建物がある。いかにも営業していなさそーな「加工場」を覗いてみるに、あった、あった!「おでんうどん」の看板があった(上右の画像参照)。

 その後の取材で、この「西城町特産物加工場」は冬季限定の営業と言うことが分かり、この時期はお休みとのことであった。調べによると「西城町特産物加工場」はスキーシーズンの1月中旬から3月中旬のみ季節限定で営業し、しかも営業日は雪次第なんだとか。また、いくら雪があっても年末は営業しないとのことである

 ともあれ、来年の初頭にもかの高名なる「おでんうどん」にありつくことができそうだ。まさに「本誌記者も垂涎」?いやはや。

備後落合駅にキハ40再登場!

 この春のダイヤ改正より、広島ー備後落合間を直通(列車番号は三次で変わる)する列車が復活し、備後落合駅に黄色いキハ40系が再び現れるようになった。


2番線にキハ40,3番線はキハ120津山色

 なぜ今年になって急にキハ40が戻ってきたのか?推測するに二つの理由が考えられる。一つは三次ー備後落合間にキハ120では対応しきれない量の乗客が見込めると言うことである。いまひとつは、今春から広島運転所との出入りのため広島ー三次間にキハ120×2連の列車が2往復設定されたため、キハ120が足らなくなり、キハ40が三次以東に入線・・・というケースである。前者ならともかく、後者だとすればなんのためにキハ120を入れたのか分からなくなって冴えんなぁ、と記者は危惧している。


(後記)

 備後落合駅に巡回に来られる、八鉾駐在所の駐在さんとお話しする機会を得た。備後落合駅には、地元の人はもちろん、東城方面の利用客、鉄道旅行者、ツーリング中のライダー、ドライバーなど様々な人が訪れるという。巡回していると、時には失恋したばかりの若者や、自殺志願の青年と出会うこともあるという。山深い無人駅、それでいて鉄路の要衝という当駅の特殊性がかくも多様な人々を引きつけるのだろうか。
 駅というのは不思議な空間だ。それは「旅立ち」の予感、終着駅の「終わり」の予感・・・総じて言えば「駅は異世界への扉」である。そんな空間だからこそ、様々な意味で大事にしたい。駅ノート活動の継続、そして駅の美化、情報の発信など、民間の立場で出来る範囲で守っていきたい、そして作っていきたい。


第2号
平成14年5月20日発行
安芸矢口企画

雑記帳 惜別!「ちどり」「たいしゃく」特設号 に多数のご記入ありがとうございました!


(3月22日、多くのファンに見送られる「ちどり」、備後落合駅)

 安芸矢口企画では、3月22日にその使命を終えた急行「ちどり」「たいしゃく」へのはなむけとして、備後落合駅に雑記帳の特設号「惜別!「ちどり」「たいしゃく」」を設置しておりました。多くの方に両列車への思いを残していただき、大変趣のあるノートとなりました。実際に両列車に乗務されたレチ(車掌)さんの書き込み、「ちどり」のヘッドマークをシールにして、ノートの裏表紙にはっていただいた方などもあり、一部困った書き込みもありましたが、大変素晴らしいものとなりました。ノートは5月上旬に撤去、現在は芸備書房本店にて保管しております。6月にも駅展示版を製作し、備後落合駅に設置する予定です。ご期待ください。

 また特設号では、通常の記入に加え、Web上での公開とする書き込みをお願いしていました。そして全書き込みのうち、二人の方にWeb公開OKとしていただいたので、本頁でご紹介させていただきます。

3月22日15:00 T.Mさんの書き込み


 たまたま青春18きっぷを使って今回木次線に乗りに来て備後落合におり立ったところ、カメラを抱えた若者など十数名の姿を見て何事?と思ったところでした。ちどりの最終を惜しむ人の姿にたまたま出会って、昔、29年前(1973年)にちどりに乗ったことを思い出しました。
 1973年7月下旬の暑さの中、当時大学生だったのですが、東京から所用で広島に来て、帰り道のついでに乗ったのが急行ちどり。たぶん4両ぐらいの急行で木次線経由の米子行きだったと思います。私は広島〜松江間で初めて木次線の車窓風景を目にして、三井野原のスキー場の様子などに目を見張ったものでした。あのころは木次線も山陰〜山陽を結ぶ重要ルートだったのに、最近のダイヤを見ると淋しい限りです。
 ちどりの名前の由来は、いろんな線にまたがって走る「千鳥足」が由来(?)と聞いたことがありますが、いずれにしろこの名前もなくなってしまうのはさみしいことですネ。

4月6日14:32 千葉市花見川区住の鉄道ファンさんの書き込み


 千葉からやってきたささやかな鉄道ファンです。前日松江での仕事帰りに、ちょっとした旅をしようと宍道発11:13の列車でここまで来ました。正直言って何もないのに驚いています。しかし感動もしています。
 みなさんの想いを綴った文章をみさせていただきました。はっきりいって「ちどり」も「たいしゃく」も時刻表で目にしたことはありますが、こんな想いがつまっているとは思いませんでした。そして、この駅がかつて急行停車駅としてにぎわっていたことも・・・・。
 いま駅には15:43発新見行の列車の音だけしかきこえません。しかし、この駅を愛する人たちみなさんの姿や想いがあふれていて、淋しさを感じない不思議な気分です。とても雰囲気がある駅です。
 木次線も芸備線も是非残してもらいたいものです。鉄道・駅の原風景のような気がしますから・・・・。
PS. しかしこの駅で昼飯を期待してきたのに。腹減った〜!!

 最後に、主筆者より。
 あちこち旅をし出した頃は、まだ「ちどり」は米子まで行っていた。しかし当時は貧乏学生だったので、旅はいつも青春18切符オンリー。「ちどり」には乗れなかった。初めて「ちどり」に乗ったのは1997年、すでに備後落合止まりになっていた。そうこうしているうちに、備後庄原以東の普通化、そしてまもなく廃止を迎えようとしている。嗚呼、一度「ちどり」で木次線を走ってみたかった。ちと昔が悔やまれる。
 かくなる上は、リバイバルトレインで「ちどり」を復活できないものかと野望を膨らませている。


第3号
平成15年2月2日発行
安芸矢口企画

(木次線・備後落合駅付近 オリンパスC-2で撮影)

備後落合駅・玄冬&厳冬

 備後落合駅は1月末からの大雪でかなりの積雪となっている。場所によっては50cm近く積もっており、踏み込むのは一苦労である。構内も、通路やホームの一部は除雪されているものの、多くの場所は白い雪に覆われていた。

 降雪の中のキハ120。2番線のレールは、新見方はすっかり雪の下になってしまった。直通列車が無くなってしまった寂しさを象徴するかのようだ。



 最後の写真は1番線の傍らに発見した積雪計、40〜50cmを示している。ここまでの積雪はここしばらく無かったのではないかと思われる。標識もホームも植木もみんな雪をかぶって真っ白。撮影者の手もかじかむ・・・。


備後落合駅周辺

(木次線備後落合〜油木)
(木次線備後落合〜油木)
(芸備線比婆山〜備後落合)
(芸備線比婆山〜備後落合)
(芸備線比婆山〜備後落合)


おでんうどん

 冬となり、いよいよおでんうどんが出食されることとなった。が、残念ながら取材を断られてしまったため安芸矢口企画としては情報をお伝えすることが出来ない。主筆者の個人的な日記に若干の記録を残したので、そちらを参照されたい。

 種村直樹「そばづくし汽車の旅」(徳間書店)に廃業一ヶ月後の備後落合駅・駅そば・売店(環翠楼支店)の写真がある。廃業は1990年(平成2年)11月1日。1990年7月のおでんうどんは、うどん+好みの具2つで320円だったそうだ。「おでんうどん」と「おでんそば」のどちらがメジャーかというのには議論があるが、もそもそ氏は「おでんうどんの店」と表現している。


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