庄原市西城町出身の元国鉄マン永橋則夫さん(74)が4月29、30の両日、地元備後落合駅でガイド
会を開きました。ピーク時116人もの職員が働いていた「交通の要衝」の歩みや設備を、実際に
働いた元鉄道員ならではのエピソードを交えて紹介。広島県内を始め、遠く東北地方や、首都圏、
関西圏などから訪れた鉄道ファンたちと、お客でにぎわった往年の光景に思いを馳せました。
30日の会には約40人が参加。まず出札、改札、小荷物など9人の係員が詰めていたという駅舎内
や駅前の説明を受けました。入口側のカウンターは出札窓口用、ホーム側のカウンターは小荷物
用だったそうです。駅前には国鉄職員向けに店などが建ち並び「落合銀座」と呼ばれていたとい
います。
駅舎を出て左側、現在は斜面と草むらだけになっている場所に官舎でした。職員専用の食堂や風
呂もあり、SLの灰で真っ黒になった体をきれいにしてもらおうと早めに湯を沸かしていたようで
す。冬になると、当時子どもだった永橋さんたちが竹スキーに「かもめ」「ちどり」などと列車
名を付けて斜面を滑り、服を濡らして駅へ行くと、操車係室で暖めてもらったなんて古き良き時
代の話も。職員が演芸クラブをつくって車庫で芝居を披露し、全国大会に出たこともあったそう
です。
駅舎から出て木次線ホームへ。ここからは古い写真を交えての説明です。転車台は最初7,8人が
かりで回し、後に蒸気、電動と進化したそう。トイレ前あたりに腕木式信号を操作する設備があ
り「きょうは調子が悪いなあ」と思ったら、動力機構にタヌキが入り込んでいたこともあったら
しいです。当時の手旗を持って、突放の時にどう振るかの実演もありました。次の芸備線ホーム
では、かつてあった屋台の話に。あの「おでんうどん」です。列車の到着時間が迫ると2人の売
り子さんが麺を湯がき始めますが、お客さんが多いと提供まで時間がかかったそう。定刻になっ
てもまだうどんが行き届かないケースもあり「仕方ないのう」と少しの間待ってあげたんだそう
です。指令?とやり取りできるスピーカマイク「トークバック」の紹介もありました。
給水塔へは駅の南北両側から水を引いていたことや、山陽本線が運休になった時に迂回運行でな
は・ひゅうが・かもめが備後落合までやってきたエピソードなど話の一つ一つが興味深く、参加
した皆さんは熱心に聞き入ったり、動画を撮ったりしていました。
最後の永橋さんが「備後落合駅は、3線が落ち合うから付いた素晴らしいネーミング。色んな人
が出会う場にしてほしい。もし男女の出会いがあった時は頼まれれば仲人を引き受けます」と締
め、みんなが笑顔になって会が終わりました。永橋さんは新見駅に掛け合って、木次線ホームか
ら芸備線ホームへ渡る階段に手すりをつけてもらうなど、備後落合に強い思いをお持ちで、夏休
みに子ども向けのガイド会を開きたいとも意気込んでいました。