(当初掲載5月22日、以後随時追加)
『中国新聞』は5月22日付朝刊から、「追憶 芸備線100年」の連載を開始しました。表記から見て、4回以上は掲載されるようです(後日補記:全7回でした)。
初回は昭和38年の備後落合駅、三八豪雪の際の雪捨て列車が取り上げられ、当時排雪作業に加わった駅員さんの証言も掲載されています。
第2回は戦後間もなくの闇米運搬の話。運び屋が闇米を没収される現場にいた人の証言や、『芸備線百年』の米丸嘉一さんのコメントも。ここまで2回の写真は米花斌さんのもので、『米寿の軌跡』にも収録されたもののように見えます。
第3回は「急行ちどり」の話題。安芸高田から米子に進学したお医者さん、備後庄原から「ちどり」で新婚旅行に出たJRの運転士さんなどの証言。写真は長船さんのキハ55系準急「ちどり」
第4回は原爆投下日の芸備線。乗務した車掌さんの証言、芸備線で狩留家まで逃れてくるも9日後に亡くなった被爆者の遺族の証言。この日は写真ではなく、イラストが掲載されています。
第5回も原爆投下日(このあたりは中国新聞らしい)。芸備線を待っていて、広島駅で被曝した人の証言。この人は戸坂まで徒歩で逃れ、そこから芸備線に乗ったとのこと。ご本人が描いた原爆投下時の広島駅の様子の絵が掲載されています。
第6回は平成3年に行われた、JR四国からの2000系特急気動車の借入と高速化計画について。当時の高速化計画は、車両購入費とレールの金具の交換などで11億円という事業費。後年山陰本線や姫新線などで行われた高速化と比べれば小規模な計画だったんですね。写真は小木戸さん撮影の2000系。
最終回となった第7回は、スキー客輸送の話題。備後落合駅前の大原旅館さんの証言やおでんうどんの話題が出てきます。写真は米花さん撮影の備後落合駅の様子です。
(第1回)雪捨て列車 38豪雪で住民生活守る
(第2回)闇米運搬 戦後の復興 陰で支える
(第3回)ちどり 「人生の門出」祝う舞台
(第4回)被爆者救護 水求める声車内に響く
(第5回)原爆の絵 青白い光 爆風で体浮く
(第6回)幻の高速化 「広島―三次59分」に期待
(第7回)スキー列車 すし詰め 駅や宿も活気